南北朝時代、行方郡横手北西の地に寿性寺館が存在しており、館のふもと大門沢に霊山から観音像を移し、真言宗の道場として寿性寺が建てられました。その後、幾星霜かを経て、寿性寺は廃絶したが、舘主の守護とされたこの観音像が後世に伝えられました。郷土史によれば、この観音像は北畠顕家公の守仏であるといわれています。
その後、江戸時代初期の元和2年に極山和尚が、大門沢鶴巻に堂を建て、この観音像を祀り寺を開いて淨圓寺と称しました。のちに御堂を西原田の現在地に移し、文政9年2月に山下・西方寺、明治3年11月に岡和田・大安寺を合寺し現在に至っています。
堂宇としては現在地に移ってからのことしかわからないが、天保6年山火事のため本堂を消失、19世存海上人が建坪30坪の本堂を建立しました。しかし、その後明治8年より明治28年まで本堂を小学校校舎として学校に貸与したため大いに荒廃し、21世見明上人が大正8年4月に現在の本堂(67坪5合)を竣工しました。
しかし付属施設が整っていなかったため、現住23世(見祐上人)が平成2年に山門、平成10年に鐘楼堂、平成14年に客殿(80坪)及び庫裡(70坪)等の堂宇を建立しました。
眺望絶景の地にあり、裏山に登れば西は霊山の一角、北は松川浦、南東は鹿島区の大半及び太平洋が見渡せます。また、境内には桜の大木があり、春には門前を覆うように見事に咲き誇ります。
淨圓寺の聖観音
淨圓寺に開山当初から伝わる聖観音は、三十三身にお姿変えて信者を救済してくださる霊顕あらたかな有難い仏像です。
木造の観世音菩薩立像(高さ68cm)で、蓮座(約29㎝)、厨子もしっかりとした造り。尊容は伏目がちで、二重あごは福相をたたえ、しなやかな手元や天衣の流れ、裙の襞が美しい。また開きかけたばかりの馥郁として豊かな蓮弁の中よりすっくりと現れたお姿が印象的で、人を神秘的な想像の世界に誘ってくれるような「美しい仏像」です。
元和2年(1616)創建、本尊を阿弥陀如来立像とする浄土宗名越派の寺院です。
住所:南相馬市鹿島区横手字西原田292