元亨元年(1321)創建とされます。祭神は撞賢木厳之御魂天疎向津姫神(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのかみ)で天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御霊(あらみたま)です。初代の神官は伊勢神宮長官藤原家行の末子、鈴鹿伊勢大夫家幸です。家幸は北畠顕家の将結城道忠の要請により、神宮から天照大御神の御分霊をうけ、この地に鎮座させたと伝えられています。その後荒廃しますが、江戸時代に京都の神祇官吉田兼連により再興されました。
境内には市指定天然記念物 「下の太神宮のヒイラギ」があります。石段の下、左傍にある真榊は伊勢の地から移植したものと伝えられています。ヒイラギの樹高10m以上は県内では珍しく、下の太神宮のヒイラギは樹高約14m、目通り幹回り3.8mと巨木で、市指定文化財です。